石岡ちゅうちゅう

茨城県石岡市のおまつり など諸々をつらつらと

子供のころのおまつりって

いまではどっぷり香丸町だけど住んでるのは南台。
石岡以外の人に説明するのにいつも苦労するね。
そもそも生まれたのは幸町だったんで小学校の高学年までは
ずっと幸町に出てた。

(っていうよりも山車を引っ張ってたか獅子に乗せてもらって た。子供だからね)

小学校に上がる前に新池台に引っ越してまたすぐに今の住所に越してきた。
中学校に入るとやたら友達が増えて
(南小は1クラスしかなかったからそう感じたのかも)
みんな友達関係からいろんな町内に出させてもらった。
おれは貝地の友達が多かったんで当然貝地町へ参加。
太鼓の練習も毎日行ってたね。
当時は祭礼参加町内も今ほど多くなく、年番引き受け町内の15町内+近隣の子供会が
ちょぼちょぼって感じだったかな?
中学生から見ると獅子のほうがスピード感があるように見えたんで山車よりも人気があったのかな?
山車町内だと金丸町に出る友達が多かったかな?
その頃はすでに今の山車だったけど、やたらでかく感じた。
貝地町は熱かったな~。
熱気ムンムン。
獅子の後で「~町!いいところっ!」っておそらく貝地町が
最初だと思うけどな~。
いっしょに出てた友達が言い出した記憶が・・・
獅子も宮下町のは重いゼ!とか星の宮のほうが重いんじゃねえの?とか情報交換したり、獅子振りで鼻を地面に擦って役員さんにあやまったりとか、結構楽しかった。
なによりおまつりだと学校が2時間でおしまいだったのがいいね。
夏休みが終わって学校に行くとうしろの黒板には
「おまつりまであと14日」って書いてあるし。
(石岡一校にも書いてあったけど)
今と違って駅前で友達に「~町見なかった?」って聞いて
平気で幸町や若松町まで走っていけたもんね。
元気だったんだな~俺も。