中国ウイルスもワクチンの開発により少しづつ猛威をひそめて
行ってほしいですが、やはり特効薬がほしいですね。
この災いが収まったら中国はどういう態度を世界に示すかが興味深いです。
さて、そのせいで日本全国のおまつりができない中で、今年のおまつりは
どうかな~~なんて心配している今日この頃ですが、昔のおまつりを
チョット振り返ってみました。
1998年は年番は守横町デス。
3日目早朝台風が上陸して、朝起きると暴風雨デス。
これおまつりでぎんだっぺが?! なんていう状況でしたが
奇跡的に静御前様の御利益か 昼前に晴れました。
所属チームのベースキャンプから高みの見物です。
お神輿も 元気がいいですね~~~
最終日はなかなか土橋通りに入らないんですよね~~
まだ入れんだね!入れんだね!って ね
前にいるささらや土橋や仲之内はお神輿が来るまで待ってます。
お神輿の後に 長~~~~~~~~~~~~いお獅子の供奉行列です。
あたくし早足でベースキャンプから山車が整列している森木町地内まで
進んでいきます。
まだアーケードがあった時代です。
露店もギッチリ
コーキがありますね~
歩道も車道も人でいっぱいです。
若松町の旧山車 若松囃子さんも旧はんてん
懐かしいです
泉町は 休憩になるとしっかり宴会となります。
体制がしっかりしています
ここに整列ですので、なんだか森木町が年番みたいです。
ファミマはまだなかったかな??
おトイレは国府公園がありますので心配ないです。
その前に 森木町の大テント村がありますね~
お獅子も移動したので山車も移動いたします。
動画は本当にブレブレですし、画質もよくありません。
この時はソニーのハイ8ムービーで、もちろんアナログです。
手振れ装置も幼稚なもんです。
見づらいでしょうが雰囲気だけでも味わってください。
https://www.youtube.com/watch?v=No37de2vJkk&t=8s
森木町から香丸町に戻るだけですが、途中年番町に挨拶して通ります。
泉町青年会さんの楽しい動画を目指してその時のみんなの様子を
残したいとの思いで、ベースキャンプの様子も入れました。
・・・・みんな20代以下が多いな~~ 誰もはんてんなんか着てないし。
まあ 楽しんでよ
夜の部 最後の夜です。
このころは21:30までおまつりやってました。
交通規制が解除になると帰宅の人の波がやって来ます。
イベント広場への途中ですからね。香丸町は。
そんな中で毎年しまいのさんぎりが始まります。
わげーしは 楽しい一時を終らせたくないですよね
アンコールが続きます・・・・・
だいたい囃子が太鼓をしまいはじめたら本当におしまいです。
みんなで後片付けをいたします。
まあ 毎年のことですから だいたい誰が何をやるとか、決まってきます。
梃子棒しまって 提灯はずして 人形おろして 備品おろして
ゴミ掃除して そしてここからはプロでないときびしい
ビニールシートかけ 角っこをしっくりあわせないと前のチャックが
しまらないから大変です。
そして 最後の最後に発電機を下ろします。
他の皆さんは会所前で集合しております。
おしまいのあいさつして 手締めして
ああ~~~~~今年もおまつりおわっちった~~~
あとは 笠抜きか~~
なんて 言いながらね。
当時あたくしたちの会は小料理屋を毎日借りて打ち上げいたします。
なべやの横のテナントです。ホカ弁 モス の2階です。
酔っぱらってここの鉄階段から何度おっこったか 懐かしいです
今はもう当時のようなおまつりスタイルではなくなり、当然じじーに
なったのでそんな元気もなく、せいぜい息子と吉牛に立ち寄るくらいです。
でも その時その時の楽しみ方があるんです。
あたくしじじーでも その場にいるだけでも、けっこう満足です。
太鼓の真下にいて耳鳴りが収まらない状態は 幸福な事だと思っています。
年甲斐もなく綱をがんばって引いて、翌日手のひらがはれて顔が洗えない
というのも ご利益だと思いましょう。
脚の筋肉痛で階段が降りられない
健康な証拠です
まあ 昔も楽しかったってことです。
怪我もなく もめごともなく 天気も良く 体調も良く
そんなおまつりを望みます。